大晦日なので1年を振り返る
年の振り返りの記事を書くぞ
今年の抱負は死なない事でした。達成できて満足です。来年も継続したいですね。
修士卒業編 1月~3月
この時期は修士卒業するために言葉通り必死でした。
そして修士認定に潜む多数の落とし穴と事務へ向く怒り。 しかしこの件について、ここに記すには余白が狭すぎる。
あと修士論文の製本をしたがそこそこ大変だった。 製本にはなぜかサンプル用に一冊用意しろという謎の要求があったため、それならそのまま印刷して製本するほうが安上がりだよなという結論になった。ただ、人数分の上質紙を買って印刷するのはそこそこ大変だった。 (2000枚+予備ほど用意したが、店にある上質紙を全て買っても足りなかったので何軒か文具店を回った) これでかなり金額が安くなったし、割引して材料費を加味してもおつりがくるレベルだった。(そもそも業者がボり過ぎなのでは…?) でもみんな製本作業手伝ってくれたのでありがたかった。牛角も美味しかった。
ちなみに製本を受け渡す際に差し入れを持ってきてくれたのは中国からの留学生だけだった…
新社会人編 4月~9月
4月に新社会人として就職しましたが、9月いっぱいで退職しました。
そもそも修士号取ったら死んでもいいと思ってたのであまり生きる気力が無かった(これが割と問題の元凶) そんな状態で仕事のモチベが出るはずも無く、仕事でミスして怒られてさらにモチベが下がる悪循環でしたね…そらそうなる(怒られない週が無いくらいだった)
ある時に趣味である過疎Vtuberの配信を観ている時に「流れ星に願いをするなら?」という話しがされていて、自分ならこれを叶えたいなーっていろいろ考えていた。 その際に自分の願望が死ぬことでは無く、仕事が辛い現状から逃げたい所にある事を自覚した。翌日退職の相談をした。
退職をする事を相談した後に、3ヶ月ほど働いていた。一般常識的にはそういうものらしい。 なので実は4月から退職の意思を伝えるよりも、その後に退職するまでの時期の方が長かった。
でも退職までの間、自分がやりたい作業を優先して振ってくれた。ありがとう社長。達者でな。
あと退職までの間の気づきとして、取れない責任は取らない事も大事だと感じた。 これまで責任の押し付け合いは悪だと思っていたが、逆で上の人と合意形成して責任を押し付けて分散させるのが正しいムーブも正しいことを理解した。(これをもっと先に理解してたら病まなかったかもしれない) そもそも自分より上の立場の人間が仕様を決め、それを作るエンジニアという立場ではどう頑張っても取れない責任が存在する。例えると、エンジニアが仕様に対して忠実に成果物を作っても、その成果物で利益が絶対に保証されるというわけではないし、そこに対してエンジニアは責任をとれない(とるもんじゃない)と考えるようになった。
それでも退職までの間は本当に元気がなく、生きる事が困難だったため毎週何かを購入する事を決めて生きる為のモチベを保っていた。(実際に購入したものは少ない)
退職後 10月~12月
そもそも元気がなくなっていたので、この期間は休む事が本題だった。
加えて、元々自分が何もする必要がなくなったときに、どういった行動をして、何を感じ、そして何をしたいと思うのか知りたかったという側面もあった。案外気づきが多いことに驚きがあった。
大きい点として、やっぱり働いていないと罪悪感があって外出が厳しく、自分が他人からどう見られているのか気にする事を知った(外出をあまりしたがらなくなった)。元々インドア派であるのも影響していると思う。
あとは自分がかわいいものが大好きで、そのためなら割と頑張れるってのもわかった。(前回記事のSDしかり)そもそも幼い頃からインターネットに触れていたモチベがそこにあることを思い出した。(Wi-Fiルーターが家に無かったし、両親が買ってくれなかったので、家族用ノートPCのWi-Fiモジュールを使って無線LANを受信ではなく送信するようにしていたのを思い出した) たぶん性格が、お金のために働くよりも美少女のために働くほうが向いているんだろうな。
あと実は料理の勉強もしていた。最近は味の素もめんつゆと同じくかなり万能だと思っている。1番嬉しかったのは自分が求める最高の魚の味を作れた事。これは火加減と下拵えが案外難しい。次はみりん醤油に漬けたりなど、所謂「仕込み」をやってみて、もっとおいしくできるようにしたい。
まとめ
こうしてみると2023年は厄年らしい波乱の一年だった。けど乗り切ったし、学びも多くあった。 ただ懲り懲りではあるので、次の厄年は1年丸々休暇取る(断定) 来年はもっと楽しい振り返りにしたいな…
元日は今年の目標を書きたい